DESIGN STORY

コラム:After/With COVID-19時代の建築(1)

久米権九郎と
スペイン風邪

代表取締役社長 藤澤 進

  • パンデミックと
    近代主義建築の関係

    『X-RAY Architecture』(2018年、Lars Müller Publishers)という本があります。建築史家ビアトリス・コロミーナによる著作です。ここではル・コルビュジエ、アルヴァ・アアルトをはじめとする20世紀の建築家の思想や作品に、X線技術によってエスカレートされた健康観や衛生思想がどんな影響を及ぼしているかが詳らかにされています。1918年〜1920年にかけてスペイン風邪によるパンデミックが起こりました。それと建築の流れを重ねてみると1919年にバウハウスが開校し、1922年にル・コルビュジエが事務所を開設するなどスペイン風邪の流行後が、白く透明な近代主義建築が社会に浸透していった時期にあたることがわかります。

  • 久米権九郎

  • 久米権九郎 博士論文の表紙

  • 健康に着目していた
    久米権九郎

    久米設計の創設者である久米権九郎のドイツ留学もその頃でした。「健康志向」の時流の影響を受けているのではないかと、あらためて活動を振り返ってみました。権九郎は1928年にシュトゥットガルト大学の博士号を取得した論文『日本の住宅の改良』末尾の住宅のあるべき姿を論じた項「新しい住宅の特徴」で、安全性よりも先に「健康」を挙げています。この論文は「久米式耐震木構造」を提案するなど、関東大震災において露呈した日本の在来木構造の構造的な弱点を解決することを目的としたものでした。権九郎は震災で兄の洋画家であった久米民十郎を亡くしています。そのこともあって論文のほとんどの部分は、震災で倒壊した建物の分析に費やされています。それなのに特徴の第一に健康を挙げているので最初に読んだときには少し違和感があったのですが、時代背景を考えると納得します。

製品開発と作品を通して、
健康志向を実現する

そして権九郎は1932年に事務所を開設し、久米式耐震木構造による実作を数多く設計しますが、 その中のいくつかにはメーカーと共同で開発した製品を使用しています。ひとつは「プラトン」という、外壁下地に使う木毛セメント板です。工期短縮を第一の目標にした製品ですが、断熱性の向上も目指したのではないかと思います。もうひとつは「風光窓」です。 開口部を在来木構造と同程度に大きく確保することを目的に開発されました。このように博士論文で書いた「健康志向」を実務において実現していきます。これらはスペイン風邪によるパンデミック後に、建築・都市に求められた新たな課題に対し、解決策を提示したものと考えてよいのではないでしょうか。

(左)「プラトン」の写真『国際建築』1934年5月号より 
(右)「風光窓」の開け方『国際建築』1934年5月号より

(左)大倉邸の外観『新建築』1936年11月号より 
(右)大倉邸の外観『新建築』1936年11月号より

  • ボイット氏と藤澤社長

  • 世紀を超えて息づく、
    社会的課題を解決する姿勢

    私は久米設計の代表取締役社長に就いたことを機に、久米設計のアイデンティティをより明確にすることを主目的に、権九郎の業績を整理するためのプロジェクトチームを組織し、調査に取り組んできました。その一貫でお会いしたドイツの建築史家ウォルフガング・ボイット博士によると、権九郎の「耐震性の向上」や「健康志向」といったことに目を向ける実践的な視点は、シュトゥットガルト大学のパウロ・シュミッテナー教授の「実用主義」に影響を受けているとのことでした。「実用主義」とは、社会や時代の要請・課題を解決することを重視する姿勢です。それは久米設計の歴史に基づく価値観で、 当社が謳っている「トータルデザインソリューションファーム」へとつながっています。

    現在においてそれは、防災に強いレジリエンスな「LCB(Life Continuity Building)」の提案であり、今後は脱炭素社会に向けての取組を一層強化していくことが、我々が創設者から受け継いだ使命であると考えています。

久米権九郎
(久米設計 創設者)

1895年東京生まれ。1923年渡欧。28年シュトゥットガルト大学建築科卒業。29年シュトゥットガルト大学で工学博士の学位を取得。32年久米建築事務所開設。戦前に「日光金谷ホテル」をはじめ邸宅やホテルを設計。その多くに久米式耐震木構造を、一部に「プラトン」や「風光窓」を用い、開発した技術を実際の建築に生かした。1965年没。

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