1887年(明治20年)、サッポロビールの前身日本麦酒醸造会社がこの地に工場を建設し「ヱビスビール」を製造して以来、100余年、駅名や地名の由来となり、それまで「恵比寿」はサッポロビール工場のある街として人々に親しまれてきた。
サッポロビールは、1987年工場跡地の再開発構想と工場の移転計画を発表した。再開発構想は「山の手情報文化都市構想」、21世紀のライフスタイルを創造する人間性豊かな新しい都市空間を目指す複合都市開発であった。
1988年東京都は「特定住宅市街地総合整備促進事業」に基づき、サッポロビール恵比寿工場を含む約40.6haの地区の整備計画を策定した。整備計画では住宅の建設、都市計画街路をはじめとする公共公益施設の整備が計画され「工場跡地に都市型住宅、商業、文化等の施設を建設し、土地の高度利用、複合利用をはかる」とされるものであった。
100年の歴史のある工場と地域との密接な関係を大切にし、
複合再開発による21世紀の新しいライフスタイルを創造することを目指し3つのコンセプトが掲げられた。
1.21世紀の都市開発のモデルとしての拠点形成
2.サッポロビールの事業多角化に当ってのコンセプト「味わいライフの追求」に対応する、生活全般に関わる「豊かで味わいのある生活」をデザインする総合的情報発信基地の形成
3.食文化を担う企業イメージに裏付けされた「健康空間」としての「水と緑と光と風」を存分に取り入れた安全で快適なアメニティ空間の形成。
「恵比寿ガーデンプレイス」は庭園都市(Garden City)と商業都市(Market Place)が融合した新しいスタイルの都市、という意味を持って名付けられた。「自然と人間と建築の融合」という永遠の課題に対し、「豊かな時間」と「豊かな空間」をテーマに「恵比寿ガーデンプレイス」の開発を進めてきた。
住宅・オフィス機能に加えて、商業・ホテル機能もあり、日常住まう人、通う人、遠方より訪れる人など、日常という場を基本にして、そこから拡がる様々なシーンを作り出している。
坂道のプロムナードやガラス屋根に覆われたセンター広場、それらを囲む商業施設により象徴的な賑わいの中心空間を形成している。広場や緑地は全体で約60%の割合となっている。
21世紀の都市モデルを想い描き進めてきたプロジェクト。1994年にオープンしてから20年以上の年月が過ぎた今、計画段階で追及してきた「都市の豊かさ」を、街の風景で実感することができる。
時代に合わせて様々なものが変化する中で、20年以上も賑わいの絶えない街であり続けられるのは、この土地に親しみを持った人々が生み出す日常の風景が生まれる「豊かさ」を創造する街づくりがあったからだと確信している。