DESIGN STORY

市谷の杜 本と活字館

大正期の建築を
復原・再生し、
場所の記憶を継承する

地域レベルの環境創造と
まちの記憶をつなぐ復原建築

■都市に森を創出する
大日本印刷株式会社の誕生は 1876年。1886年に市谷の地に工場を開設して以来、長きに渡り歴史を継承してきた。
市谷地区の再開発整備事業は、工場機能の更新・営業企画部門の集約に伴う本社機能の建替えである。業務機能の高層・集約化および工場機能の地下化により、地上部に広大なオープンスペースを生み出し、約2万㎡もの緑豊かなランドスケープを実現した。地域在来種の落葉広葉樹と常緑樹で構成された緑地帯は「市谷の杜」と呼ばれ、オフィス環境の向上はもちろんのこと、地域の良質な環境資産として次世代へ受け継がれて行くことを意図している。

■「時計台」から「市谷の杜 本と活字館」へ
「市谷の杜 本と活字館」は市谷地区の印刷工場の一部、営業所として1926年(大正15年)に創建された。その後、増改築を繰り返しながら事務所として 2016 年頃まで利用されており、「時計台」という愛称で地域に長く親しまれてきた建築である。
今回の整備事業に際し、都内に現存する貴重な大正期の RC 造建築物である「時計台」を場所の記憶を継承する建築と位置付け、創建時の状態に復原するとともに活版技術を後世に伝承する展示館「市谷の杜 本と活字館」として「市谷の杜」に配置し、地域貢献できる文化施設とすることを目指した。

「復原」と「復元」―思いに応えるための技術的アプローチ―

「復原」と「復元」
―思いに応えるための技術的アプローチ―

古い建築物を再生する手法としては、大きく二通りある。一つは現存しない、もしくはいったん解体された建築を設計図などをもとに新たに「復元」する方法である。もう一つは、現存する建築の躯体や二次部材を生かし、後世に施された改修の痕跡をたどり、創建時の姿に戻す手法であり、専門分野では「復原」と表記し、前者と明確に区分している。
今回は「本物を保存・再生したい」という施主の強い思いがあり、既存躯体を生かした「復原」を行うこととなった。
現存する構造体は、断面強度が現行法規を満たせないため、耐震補強することが必須だったが、創建時の意匠性を損なわない程度の補強では到底満足できない状況であった。そのため基礎免震としたレトロフィットを採用し、高い耐震性能を確保しながら意匠・構造的、歴史的価値を損なわない構造体を実現した。また、整備事業の重要な要件である交通ネットワーク構築の一環として、敷地境界位置や接道レベルの変更が生じたため、新たな街路空間に対応した建築の再配置が必要となった。そのため、水平・鉛直移動を組み合わせた曳家工事を計画・実施し、新たな景観に適応する配置を実現した。

  • 保存・再生への道のり
    ―内外装を再現するための手法―

    内外装を創建時に復原する行為は、通常の建築設計とは異なる作業の連続だった。後世に改修された仕上げを撤去し、その奥にある創建時の装飾を発見したり、痕跡も残っていないものは、当時の図面や文献、写真を解析することで、一つ一つ解明していくといった作業であり、あたかも考古学のようなアプローチが必要となった。

    ■既存建物に残っている痕跡をたどる
    後世に改修された仕上げを撤去していく過程で、創建時のものと思われる仕上げが現れた。
    梁・柱の漆喰装飾は補修して利用できる箇所もあり、新規に造形する上で参照できる状況だった。腰壁の羽目板や巾木についても保存状態がよく、形状・寸法を確認することができた。何重かの重ね塗りが施されており、各層が分かるように削る「擦り出し」の手法を用いて創建時の色・仕様を確認した。床のモザイクタイルは、改修時の損傷範囲が大きかったため、新規タイルにより再現した。比較的状態のよい一部分はオリジナルを残している。 

    ■写真や図面をもとに解析
    保存されていた創建時の資料としては、白黒写真数点と、簡単な一般図、戦後の改修時の図面などであった。当時の雰囲気を想起させる貴重な資料であるが、大まかな仕様は判断できるものの、詳細な部分に関しては別の手段を検討する必要があった。

    ■当時の資料をもとに細部を再現
    照明器具など、現存しない部材は基本的に写真から寸法を推定したが、詳細については当時の照明カタログを参照し、形状が近似の器具を特定して細部を再現した。

  • 保存・再生への道のり
    ―施主との協働―

    ■事例をもとにサンプルにて検証
    比較的保存状態の良い内装に対して、外装は仕上げや金物などの装飾物についてはほとんど現存しておらず、写真や図面による分析や同時代の事例などを参考に解析する必要があった。外壁仕上げについては、長年外気にさらされているため劣化が激しく、戦災の影響もあるため、既存建物調査による仕様の特定は不可能であった。辛うじて仕上げの呼称は文献にて判断できたが、色やテクスチャーまでは写真をみても判別できないため、同時代で現存する事例の調査や、施主の写真解析技術なども駆使するなど、様々な方法で復原することを試みた。
    最終的には50種類以上のサンプルを作成し、現地で確認することで最終決定となった。

    ■字体へのこだわり
    建築のポイントとなる時計の文字盤や館銘板の文字については施主側で復元の検討を行った。不鮮明な写真を基に様々なアプローチで解析していく過程に対して、印刷会社らしい字体へのこだわりが感じられた。

  • これからも生き続ける
    建築であるために

    施主の要望は、単なる歴史的な建築物の復原だけではなく、地域貢献できる文化施設として再生することであり、整備事業によって生まれる新たな景観に調和する建築であることだった。
    内装を再現した空間は、展示ギャラリーとしての機能を満足するため、温熱環境の整備は必須だった。空調システムは免震ピットを利用した床吹きとし、設備機器が天井の装飾を損なわないように留意した。サッシや外壁の断熱性能を確保する上で、厚みが窓廻りや柱梁のプロポーションを損なわないよう注意深く仕様を決定するなど、復原した創建時の雰囲気を損なわずに快適で生き生きとした活動の場とすることを目指した。
    外観としては、現代的なオフィスとの間の「市谷の杜」が緩衝帯として機能している。工場街の玄関だった「時計台」が、杜に埋め込まれたギャラリーとして生まれ変わり、新たな景観を形成するよう試みた。再開発により大きく変貌した市谷の地に調和し、今まで同様今後も長く地域の方から愛され、利用される建築となることを願っている。

関連動画

竣工年
2020年
所在地
東京都新宿区
延床面積
836m²
階数
地上1階、地下1階
構造
RC造/基礎免震

市谷の杜 本と活字館

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